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ウツタイン大阪プロジェクトについて

ウツタイン大阪プロジェクトの歴史

 通常の医療において、突然の心停止に対応することは、非常に困難があり、しかも病院の外で起こった心停止については、絶望的であるというのが、従来の一般通念であった。1990年から1991年にかけて、ノールウェーのスタバンガー近郊の史跡ウツタインで開催されたいわゆるウツタイン会議は、この病院外心停止に関して、まず実態を共通の尺度であきらかにする重要性を提唱するものである。1991年には、蘇生の論文を扱う学術雑誌にこの会議のガイドラインが掲載されて、従来、勝手な指標でさまざまな統計が公表され、真実がベールに覆われていたこの領域に、新しい光がともされることになった。
わが国では、ちょうど1991年に、救急救命士法が成立し施行された。そうした機運の中で、ウツタイン様式を用いた記録集計の試みも、散発的におこなわれた記録もある。しかし継続的な取組は、1996年に大阪で始まるまでは、実施されることはなかった。これに対して、欧米では、限られた期間の限られた地域における調査プロジェクトとしてウツタインプロジェクトが実施されている。1994年にJournal of the American Medical Associationに発表されたニューヨークのプロジェクトでは、専任のスタッフを雇用して半年間のプロジェクトが実施されたが、その記録集計は実にたいへんな努力を必要としたことが記載されている。
 大阪では、1996年頃より、救急に携わる医療機関や消防本部のメンバーが、地域網羅的に継続的にウツタイン様式に基づいて、病院外心停止の記録集計を行おうという機運がはじまった。その主要な提唱者は、桂田菊嗣、森田大、行岡秀和、杉本壽である。特に森田大を中心に、1996年に高槻市内でパイロットスタディが開始されていたが、大阪大学、千里救命救急センターを含めて北摂でプロジェクトが始まった。さらに、この年から大阪府全体にわたる広範囲でプロジェクトを開始する準備が始まった。北摂では、北摂CPA研究会として、データの収集を継続した。このプロジェクトでは、地域の消防本部の全面的な協力を得るとともに、研究会メンバーが足を使って自ら医療機関に出向いて転帰調査を行い、手造りで記録集計を実施した。
 大阪府全域にわたるプロジェクトにおいても、準備が進められ、各消防本部、救急医療機関、大阪府医師会、近畿救急医学研究会などをはじめとして広く地域の協力をえて、1998年より、運用が始まった。これは、880万人の人口を網羅するプロジェクトであり、国際的にみてもたいへん大規模なプロジェクトである。しかも現在まで推進されている継続している稀なものであり、大阪発信の世界に誇るべき成果が集結している。このプロジェクトの開始にあたって、ウツタイン様式日本語版を作成したが、これも、大阪プロジェクトのメンバーで作成したものである。修道院跡であるウツタインの様子が描かれたウツタイン様式日本語版の表紙を示す。
 欧米では、半年、あるいは1年間といった限られた期間のウツタインプロジェクトが行われては消えていた。すなわちウツタインプロジェクトの炎がともっては消え、繰り返している。これに対し、大阪では、少し遅れて小さく灯ったウツタインプロジェクトの灯は、消えることなく次第に大きく灯って継続し、他の地域では見ることのできない大きな灯に発展したのである。

ウツタイン様式マップ
京都大学医学研究科 医学教育推進センター
平出敦